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科学的でなくても証明はできる

まず、このことについて書く前に「証明」という言葉の定義をはっきりとさせておきましょう。



証明という言葉について辞書では
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E8%A8%BC%E6%98%8E&enc=UTF-8&stype=1&dtype=0&dname=0ss



しょうめい 【証明】
(名)
スル
[1] 理由や根拠を明らかにして事柄が真実であることや判断・推理などが正しいことを明らかにすること。



・ 無実を―するもの



とあります。




 すなわち、証明をするということは、ある事例における判断で「その判断が正しいという根拠や理由を明らかにすること」です。




また、根拠という言葉も誤用される事が多いので辞書の定義を引用しますと
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E6%A0%B9%E6%8B%A0&enc=UTF-8&stype=1&dtype=0&dname=0ss
こんきょ 【根拠】
(名)
スル
[1] 判断・推論などを成り立たせるよりどころ。行動などの正当性を支える事実。

 根拠とは判断の拠り所となるものや正当性を支える事実等という意味です。




「事実」という言葉が出てきたので、念のためこちらも定義を明確にしておきます。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?stype=0&dtype=2&p=%BB%F6%BC%C2



じ‐じつ【事実】
[名]1 実際に起こった事柄。現実に存在する事柄。



 これは必ずしも前提条件を揃えれば常に再現されることを要求される科学的であるということを意味する言葉ではありません。科学的でないことを「根拠がない」と称する科学カルトの人が多いので、あらためて記しておきます。



 また、よく使われる「科学的証明」という言葉にある「科学的」であるということの条件には、原理および相関関係が明らかとなっている事という条件がつくのが一般的です。



 証明ということだけをみれば、相関関係が完全に明らかでなくても、原理が不明でも、そう判断すべき十分な証拠があるのなら「証明されている」ということです。すなわち、証明されることと科学的であるというのは全く別のことであるということです。



「科学的根拠が無ければ存在しない」というのは幻想です。科学的根拠というのは、一般論になり得るという条件のひとつであり、事実であるか、真実であるか等とは直接の関連はありません。




 例えば、過去生を記憶する子供が居たります。それらの真偽を確かめるべくして行われた生まれ変わり等の研究において、その記憶が正しいのか、実際のものなのかどうかを調べていったら、その子供が「知り得ないはずの、過去のいくつもの詳細な事実と一致していた」という事実がありました。それらは、その子供が過去にその場所で生きていたという主張が正しいと「判断するに妥当な証拠」になります。



 何故なら、現代までの科学において、過去に生きていたという以外の理由で、それらの詳細な事実を知ることが不可能と思われ、詳細な事実を知っていたという事が「その時代に生きていた記憶であると判断すべきもっとも合理的な理由」となるからです。



 上記のように、「ある事例が正しいと判断する事が妥当である根拠や理由を明らかにすること」が、それらの判断が正しいという「証明したこと」になります。そして、それらの事例が多く集まれば集まるほど、一般性・信憑性が高い事実として認められるようになります。



 霊視や透視、時間軸を超えた移動などは不可能で、その過去やその時点にいなければ知り得ないはずの情報は得ることが出来ないという科学的判断が、逆にそれらの状況証拠などに証拠としての価値を持たせている事になります。(笑)



 例えばある時に沖縄で高木ブーさんが寝ていた時に高木ブーさんの鼻毛が全部抜かれたという事件があったとします。(笑)
 そして、動機のあると思われている志村けん容疑者はその犯行時刻には、北海道にいたとします。その場合、事件の起きた時刻に、容疑者はその事件が起きた場所にいる事が出来なかったという証拠(証人や何らかの記録)を明らかにすることで、その人はその犯行の実行犯ではないという証明をしたことになります。



 すなわち、状況証拠・証人などの証を明らかにすることで、「証明する」ということが可能であるということです。



 もし、これらの証明を覆して「容疑者がテレポーテーションをして一瞬のうちに移動したから、沖縄に居て犯行をしたのだ」という主張をしたいのなら、その主張をしている方が「容疑者にはテレポーテーションが出来るということ」そして、「その時点にテレポーテーションを行って犯行をした」ということを証明しなければなりません。



 これまで生まれ変わりなどの研究において、過去から沢山の検証が行われ、知り得ないはずの事実を知っていたという証拠を提示して、生まれ変わりがあると判断するに相応しい「証拠」が提示され、生まれ変わりという現象があったと考えるにことに信憑性を持たせることの出来る「証明」がされています。



 生まれ変わりの研究事例の中には、何らかの方法などによって知り得たのではないかと推測される可能性もあるもの(知り得る事が出来るかもしれないと推測出来ても、それが正しいという保証はない仮説)もありますが、「まずその時代に生きていなければ知り得ないようなこと」を記憶していて、明らかにその他の理由では説明の出来ない事例もあります。



 もしそれらの証拠を否定したいのであれば、何らかの方法で「その子供が知り得ないはずの事実などを知り得る事が出来た」という反証すべき証拠を提示して、その証拠を覆すことが出来ない限り「証明されている」と言えるのです。



 そして、それらの反証は「過去全てのそれらの状況証拠の提示された生まれ変わりの証明事例」に対して行わなければ、「生まれ変わりはない」という根拠にはなりません。




 証拠が科学的物証でなければ価値がないという主張をする人もいますが、それはその人の都合であって、必ずしも証明されることすべてにおいて、科学的に原理などが証明されている必要はありません。



 一般的・客観的に信じるに足る証や、推定される充分な理由があれば証明は可能であり、「証明された」ということにおいて、必ずしも科学的であるという必要はないのです。志村けんさんが、自らが犯行時刻には北海道にいたと証人等を立てれば自分の無実を証明できるように、根拠となる事実さえ提示すれば、証明は可能なのです。



 それでも「証人が見たのは志村けんの幻想だ。人の認識は怪しいものだ!」とかの理由を付けて、「志村けんが犯人だ」と言って、志村けんさんを犯人呼ばわりするのなら、言ってる方がちょっとおかしい人ということになりますね。(^▽^)



 スピリチュアル否定の人達みたいに「生まれ変わりなどあるはずもない。子供が知らないはずのことを知ってるなんて事がことが起きるはずない」と声高に主張しても、それを否定する証拠も出せず、「記憶のすり替えだ!」「いや、何らかの方法で知っていたはずだ!」というような「証明不能なこと」ばかり主張しているのであれば「ただ信じたくないだけでしょ?」といわれ、相手にされなくなるのは当然ですね。



 蛇足ですが今回、証明の例として提示した生まれ変わりの場合には、科学などで必須とされる「生まれ変わりが起きるための原理・再現条件の解明」等については研究はされていると思いますが、魂の構成物質が解明されない限り、科学的というレベルでの解明はまだまだ難しいと思います。



 もちろん、わかった方がいいのは確かですが、それらについて必ずしも早急に科学的に解き明かされる必要は無いと思っています。「有った」「無い」を問うだけなら、普遍性・再現性が必須ではないということもあります。「普遍的に起きないことは存在しない」等という科学的手法による見解は「真実」とは関係ありません。
 
 なぜなら、この世に生まれるかどうかや、死んだ後に再び生まれ変わるか否かは、最終的にその人(魂)の意志によって決定されているからです。死んだ後に「もう人間としての経験は十分だ」と思えば、再び人として生まれ変わらない選択をする魂もあるのです。そして今生まれて来ている人たちの中でも人間としての過去生を持たない人(魂)も居ます。すなわち、一般的に悔いのない人生にしようとするためによく語られる「人生1回きり」という言葉通りの人もいるということです。



 生まれること(転生をすること)自体が、各自の選択で決まる「バンジージャンプで飛び降りるみたいなこと」であって、あの世に戻った人が、再びバンジージャンプで飛び降りてくるかどうか等という事は当事者でなければ判りません。いや当事者ですら、判らないといった方がいいと思います。知り合いのチャネラーなどは「もう人間としての転生は今回で終わりでいいかもと思う」と言ったかと思えば、「でもまだまだ必要なのかも」などと言っています。一端どちらかに決めても、後で気が変わる可能性もあります。転生などは、あの世から神様に突き落とされて、強制的にバンジージャンプをするようなものではないのです。自由な選択肢のひとつとしてあるものです。



 私からすれば「生まれ変わりというものがあるのか、ないのか」の議論で結論を求めるのなら「生まれ変わったという事例があったと判断するにふさわしい証拠がある。よって、生まれ変わりという現象自体はある」であり、巷にあふれるスピリチュアル伝道者たちがいっているように、誰もが修行のために「必ず」生まれ変わるかどうかについては「判らない」が正解だと思っています。



 そして自分が「私は○○の生まれ変わりです」なんていう自分の主張を正しいと証明したいのなら、個別に証拠を出し証明する必要があります。なぜかというと輪廻転生のシステムは、その辺で適当に語られているよりもずっと複雑であるというのが真実であり、魂自体に厳密な個別の「区切り」はなく「個」という概念自体が怪しいものであると考えているからです。


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