« 否定派の定番パターン~幽霊編3~ | Main | サイエンス・ハラスメント »

否定派の定番パターン ~幽霊編4~

否定派は否定する対象に対して無知である」という定番パターンに漏れず、幽霊否定派も数多くの否定論を並べていますが、どれも否定根拠になどにならない為、大昔に却下された穴だらけの理屈を並べています。ということで、否定派が主張する幽霊否定論の主張の問題点をあげてみます。



関連記事:否定派の定番パターン~幽霊編~       否定派の定番パターン~幽霊編2~       否定派の定番パターン~幽霊編3~




否定派の定番主張 その11
「もし幽霊が居るのなら、殺人犯が殺された人間の幽霊に呪い殺されないのはおかしい。だから幽霊は居ない」



このパターンでは「全ての幽霊に人を呪い殺せる力がある」という勝手な前提を作り上げ、その前提条件で「それが起きていないので、おかしいから居ない」と結論づけています。



しかし、その前提としている「全ての幽霊に呪い殺せる力がある」という証明はどこで成されたのでしょうか?



 様々な所で語り継がれた「幽霊に呪われた」という話があったことが、この主張の根拠となっているのでしょうが、全ての幽霊が同一の能力を持って居るとは限りません。



 幽霊の存在証明が成されていないのに、完全といわれるほどの能力証明などされているはずもなく・・・。当然のごとく、そんな証明がされたという話は聞いたことがありません。
 まず前提としている幽霊の「能力証明」が成されていない時点で、何ら意味のある主張にはなりません。



 そして更に「すべての殺された人間が復讐のために呪い殺す」という前提も勝手に決めつけていますが、それも証明がない限り、単なる妄想である可能性が大だということです。



 自分が殺されるやむを得ない理由(スピリチュアル的にはカルマ)があったり、犯人に同情してしまい許してしまう可能性等、やり返すことが自らの不運をつくるというカルマの考え方など殺された側にだって色々な考えがありえます。全ての幽霊が同じ反応をするとも限りません。



 人間の能力・反応も千差万別であるように、幽霊の反応や能力も千差万別である可能性大ですから、幽霊が自分が期待する行動を取らなかったり、期待した能力を発揮しないから、幽霊はいないという結論を導いたとしても、ナンセンスこの上ないという事です。



 そもそも「人並み以上の霊感がなければ、霊の干渉は感知できない」というのが一般的な人間の霊感(幽霊の認識能力)ですから、「おまえを殺す~~~」といくら霊が呪ったところで、呪われた人間が感知出来なければ意味がないというのは、常識的な論理的推察力があれば解ることだと思います。



 霊能者といわれる人達の経験則では、もし恨みをもって精一杯呪ったところで、「ちょっと運が悪くなった」と感じさせる程度か、精々「悪夢を見させること」しかできないレベルの幽霊も多くいるとされています。



これらのような「幽霊の能力」を前提に行われる否定の主張は、幽霊の能力が完全に証明された上でこそ初めて意味を持つものであり、存在証明すら十分ではないとされる状態、能力証明も充分されていない状況でこんな主張をしてもナンセンスこの上ありません。




否定派の定番主張 その12
「心霊現象といわれるものは、科学で説明できる。だから幽霊は存在しない。」



 科学的に心霊現象が説明できるかどうかと、その現象が起きたことと幽霊の関与が有ったかどうかについて科学的には「解らない」が正解です。



 そもそもその状況を科学的に説明している現象の発生条件を満たした何らかのデータを提示しているのならともかく、それすら成されない「根拠ゼロ」で後付けされた科学を装った説明など何ら意味のあるものではりません。



 そして、ある心霊現象が「静電気」で起こるというように科学的に説明できたとしても、幽霊がその静電気を起こしたとしたら、それは幽霊によって起こされた現象であるという事になります。



「心霊現象であるかどうか」を考えるのなら「何故その場所に、その時に静電気が起きたのか?」ということを調査して考察する必要があります。



 心霊現象であるかどうかは、その現象が起きた時点に幽霊による干渉があったかどうかが明らかになってこそ判断可能な事であって、幽霊の科学的検知方法の解明方法が不十分な現在において、幽霊によるものではないという結論は導くことは出来ません。



 もし、それらが幽霊によるものでないという主張をしたいのなら、幽霊の能力というものを完全に証明し、その上で主張を行うことなら可能ですが、存在の実体が何であるのかが未確定である現在において、それらの主張を合理性を持って行うことは不可能です。




否定派の定番主張 その13
「幽霊はよく異次元の存在だというが、三次元の人間が異次元にアクセスできるはずがない」



 この主張も「人間が三次元のみの存在である」という「何ら証明されていないこと」を前提に否定論を掲げている時点で却下されます。



 様々な人達の実験や経験則から、幽霊は時間軸に制約されない四次元以上の世界に存在する「意識のエネルギー」で成り立っているものであると言われています。



しかし、「意識」については未知の部分が多く、「意識のハードプロブレム」として言われる領域があり、決して「十分に解明されているとは言えない」状況です。



 例えば、何ら外的干渉・起因すると推される要因がない状況で湧き上がったりする思考や感情など、意識や思考がどこから生まれて来るのかという命題に「確固といえる解答」が導けていない現状において、これらの主張はナンセンスこの上ない主張です。



科学は進歩していますが人間のことなどについては判っていないことが多々あり、「心が何処にあるのか?」ということに関しても「心」といわれるものが活動するときに前頭前野が活性化されることから「心があるのは前頭前野ではないのだろうか?」という推論がされているというレベルでしかありません。



それも「心が働くときに脳のその部分が活性化されている」という根拠から生まれたものに過ぎず、ハードウエアとしての脳の働きによる推測でしかありません。そもそも思考や認知が脳の内部で完結しているという証拠は何処にもありません。そして、テレパシー実験など「意識や認知は個人の脳以外の所とのやりとりがあるのではないか?」と推測されるという実験結果もあります。




否定派の定番主張 その14
「幽霊が存在するという充分な証拠はない。よって、幽霊は存在しないか、そう考えることが妥当である」



詭弁の典型的な「すり替え」の手法で、「幽霊は存在するのか?」という問いがあると、よくある主張です。



存在証明がないということは、存在の無を証明・保証しません。証明されていないことを根拠に「妥当である」と結論づけても何ら説得力がありません。個人の信念のレベルです。



主題として「幽霊は存在するのか?」ということを問うて居る場合は、存在の有無の絶対値、すなわち真実を問うことであり、単純にどのように考えるのが都合がよいのか?ということが問われているのではありません。



客観的にどうであれ、証明が成されていないというだけで結論を出し、真実を考える姿勢を放棄しているのなら「思考停止状態」といえるでしょう。



「科学的に証明されていない物を無い」とするのが妥当だという論理は、科学的に証明された時点で、「無い」ものが「有る」と変わるわけですから、そういった見解は真実を表すものではなく「単なる考え方」であるというのは明らかです。



「科学的証明が成されるまで、証明されていなかったものが存在しなかったのか?」と問われたら、殆どの場合、「証明される前から存在した」というのが真実でしょう。
そもそも「存在するのではないのか?」という仮説が立てられていたという事は、その存在を仮定させるだけの何らかの影響や事実があったということです。



真実は客観的であるかどうかとは関係がありません。真実は証明されているかどうかとは関係ありません。客観的でなければ真実でないとか、証明がされていなければ存在しないと考えるのは、そう考えたい信念だということです。



しかし、その個人の信念を絶対のように主張することは単なるカルト宗教の教祖と同レベルです。他人を自分の信念に従わせ、自分の力を感じたいだけの人です。冷たくスルーが妥当でしょう。



科学は科学的に扱えないもの、再現性の得られないものは切り捨てる手法であり、客観性と再現性を求めた学問であり、真実を問うものではなくなっています。



多くの人に認知できないから、存在しないという理論は、真実を問うという姿勢からは、程遠いものです。

|

« 否定派の定番パターン~幽霊編3~ | Main | サイエンス・ハラスメント »